Siren's siren

サイレンというのは警告音だ。 それ以上近づいてはいけない、だとか、そこから逃げろ、だとか、或いはもう刻限であるとか。 兎に角、何らかのアラートをする存在がサイレンである。 生きるための、警告。 元をたどればセイレーン、という化け物とも何とも付かぬ存在に行き着く。 岩場に腰掛け、航海者をその歌声で惑わせ、座礁させるなり難破させるなり。 人を引き寄せ、命を奪う。 確実に、正確に。 その歌は結局、死ぬ前のひとときの甘い夢になる。 初めてそれを何かで読んだときに、雷に打たれたような衝撃を受けた。 ―――全然、違うじゃないか。 そう思ったのだ。寧ろ、真逆、対極の存在を語源としているなんて、おかしな話じゃないか。 けれど、結局それ以上突き詰めないまま、暫く時間が経った。 最初の違和感がどんなものであったか、その肌触りを忘れつつ有る頃だ。 急に、その疑問の答えを得る機会が訪れた。 「臨也、教科書―――」 借りていた物はさっさと返しておきたいのでわざわざ短い休みを縫って教室に来たのだが、生憎持ち主は不在だった。 かわりに机に置かれていたのは割と最近のものらしいハードバックの書籍だ。 分厚い表紙、おどろおどろしい表紙の絵。 ―――へぇ、こんな本も読むのか。 つい手に取ってしまった。 何せ、自分が把握している限りでは『資本論』から心理学の本、果ては哲学書に至るまで、やたら難解な内容の代物を好んでいるように見えたのだ。 このような「眉唾」タイプの本を読むとは思わなかったのである。 「伝承・伝説上の生き物・幻獣…また随分とマニアックな物を読み出したな…」 目次を見ながらつい笑ってしまった。適当にぱらぱらと捲り、ふと思い立ってとある頁を開けてみた。 「セイレーン―――」 ギリシャ神話に由来する伝説上の生き物、云々。 人魚との混同が起きているのなんの、という話が興味深い。 結局、挿絵が有ったり細かい注釈があったり具体例が挙がっていたりと至れり尽くせりだったわけだが、「サイレン」に派生する経緯は見事に省かれていた。 それもそうだ。 この本の主眼はセイレーンの描出であり、あくまでもその姿その物に置かれている。 派生語などは言語学者か文化研究者に任せていれば良いのだ。 宛が外れた気がして内心がっかりしつつ、本を閉じた。 休み時間は短い。 そろそろ自分の教室に戻らなくては、授業が始まってしまうだろう。 本の持ち主に会えなかったのは少しばかり気がかりだが(借りておいてありがとうの一言も無いのはまずい)それはまた後に回すことにしよう。 廊下に出て自分の教室に戻るまでの間に、俺はいつもの「サイレン」を聞く。 「臨也ァァァァァァァァ、待ててめェェェェェ」 その絶叫の意味を知っている人間は皆大人しく道を空けるのだ。 「あと数分で授業なんだから大人しく教室に戻りなよ、シズちゃん」 器用にちらちらと後ろを見ながら駆け抜ける、臨也。 「教科書助かった。さっき当てられたんだ」 それに後ろから声を掛ける。 「え? ああ。それは良かった。じゃあまた後でね!」 ―――ウィンクって。 そんな事を平然とやってのける神経にはいつも感服しきりである。 少なくとも平均的男子学生のやることではないだろう。 「余所にちょっかいかけてる暇なんてあんのかてめぇ!」 「君には関係無いだろ、ほっといてよ」 「わかった、殺す!」 そして嵐は視界の遙か遠くに消失した。 偶然近くで聞くことになった平和島の言葉が、鼓膜に引っ掛かった。 気付いていないのだとすれば相当重症だ。 要約すると「俺だけを見ていろ」って事だろう。 違うのか。 臨也の奴も面倒なところに手を出した物だ。 そのくせ、本人にそれを指摘すると、 『俺は化物に興味なんて無いよ。単に腹が立つだけさ』 等と言い張るのである。 もしそれが本当なら、驚く程すれ違っている。 致命的に、ずれているのだ。 噛み合わない。 だがそれを、『厄介だ』と思いこそすれ、解決してやろうとは思わない。 別に彼らを嫌っているのではない。 単に、敵に塩を送りたいタイプでは無いだけのことだ。 帰り道で頃合いに話が途切れたのでこれ幸いと、臨也に例の話を振ってみた。 この男なら、積年の疑問を解決できるのではないかと、ふと、思ったのである。 「俺はローレライって響きの方が好きだな」 サイレンの話をしたつもりだったのだが、耳慣れぬ音が飛び出した。 「ローレライ?」 「あれ、関連項目としてあの本に書いてなかったかな。セイレーンとほぼ同じようなケースとして挙がっていたと思うんだけれど」 あの本、がどの本なのかは見当が付いた。 「…同じ本を読んだって保証はないだろ」 けれど、それを認めるのも癪なのでそう言っておく。 「じゃあ別の本なのかな。てっきり、ドタチンは俺が机の上に置きっぱなしにしていた本を読んだものだとばっかり思ってたんだけどな」 「………」 なんですっかり見破られているんだろう。 「あれおかしいな…外したか。―――まぁいいや。ローレライって言うのはドイツの岩山の名前だよ」 話が変わって、内心胸をなで下ろした。 「岩山?」 「ライン川の一番狭いところにある岩山。流れが速いのに水面下が岩だらけだからとっても難破しやすいんだ。船乗りにとっては恐ろしい場所だったんだよ」 今は人間が勝手に川幅を広げたり整備したりしたから、大型船も通れるようになっちゃったけど。と付け足す。 「それと、サイレンがどう関係有るんだ」 正直に言って、臨也独特の話の長さは嫌いではないが多少面倒くさい。 結論を先に言わないのだ。 「美少女が、立ってるんだ。金の櫛を持って。それに気を取られて操舵を誤ると、ドボン」 そう言って、簡単に指で模した銃で、こちらの額を撃ち抜く。 「………なんだ、それは」 「要するにさ、セイレーンが出るって言われているところは船乗りにとっての鬼門みたいな物なんだよ。 美少女が居るぞ、とか、歌の上手い美女が居るぞ、とか何とかもっと浪漫のある言い方をして話が伝わりやすくしているだけなんだよね」 何せ船乗りはむさ苦しい男ばっかりだし。ほら、ドタチンみたいにさ。 臨也はからからと笑った。 「まぁ確かにお伽話じみた噂の方が昔はよく伝わっただろうが…」 むさ苦しいって、どういうことだ。と引っ掛かったことは表に出さない方向で解決した。 それよりも、本筋だ。 「だからね、ドタチン。サイレンは正しくサイレンなんだよ」 そう言って機嫌良さそうに笑っている。 してやったり、の顔だ。 「あ」 やっと、気がついた。 「そこにサイレンが出るぞって事は、要するに、そこは危ないぞ、近寄るなよって、『警告』している事になるだろ?」 「…そういう事か…」 「良かったねぇドタチン、積年の謎が解けて」 「何だか狐につままれたみたいな気分だな」 論理的な矛盾点は見つからない。 けれど、何となく納得するのを躊躇させるような展開だ。 「そう言わないでよ。俺の考えた中では一番妥当性のある結論なんだから」 ああ、また「サイレン」が聞こえる。 「まぁ、抑もがあまり気にするような事でもなかったんだろうな」 これ以上この男に喋らせるなと、頭の中で鳴り響く。 「そうだろうねぇ」 けれど、澄んだ声を聞いていたくて耳をふさげない。 たとえ、警告されようとどうにもならない問題なんていくらでもある。 航路が一つしか無ければ、サイレンが出ようがそこを通るしかないのだ。 「そうそう、俺はローレライの方が好きなんだ」 悪戯を思い付いた、という顔だ。 けれど、この男の悪戯は悪戯如きでは済まない。 それこそ、人々を魅了して、水の底に引きずり込むような、そういう危うい生き物なのだ。 「どうして」 「どうせ呼ばれるなら、サイレンよりローレライかなって、そう思っただけだよ」 完全に胸の内を見透かされたような嫌な気分になった。 思わず顔を顰めると、 「まぁ、俺は美少女でもなければ歌も上手くなかったけどね。どう思う?」 鳴りっぱなしのサイレンには、手遅れという概念が存在しないらしい。 潮風に錆びた警報機が視えた気がした。 ―――ただそこに居るだけで、警告。見ているのは、暗い海に放り出される前の最後の甘い夢。 『水底サイレン』

実は人魚の話よりも先に出来てた話でした。 冒頭の部分がこっちの話に関係あるのもそのせいですん。 前にも書いてましたがホントは一冊の本に纏めるのも良いかと思ったんですよ。 けどあまりにもカプがカオスになり過ぎてネット掲示にしたというそんな経緯wwww 雑食始まりすぎである。 でもって、ドタイザは誰が何と言おうと で き て る ぞ☆ 2011/2/15