公園を通り抜けよう等と馬鹿なことをしたのは、大凡考えるということ全てを投げ出したい位疲れていたからだ。





疲れていた。
何をした訳でもない。
強いて言うなら、多少愉快でない話をしただけのことだ。

それなのに、ありとあらゆることが面倒になっている。
自分で自分の舌を噛み切るだとか、頸動脈をばっさり切ってしまうとか、中学生のような死に方講座が脳内で浮かんでは消え、浮かんでは消える。
頼んでもないのに頭が回る。
さっきの屋上からならワンステップで死ねたのだが、理性をフル稼働して押し留めた。
そんなどうしようもない状態でも、一応襲いかかられたらどう対処すべきかなんてことも考えている訳だから、俺の思考の纏まりの無さは異常といえば異常なのかもしれない。

そんな安定を欠いた状態だからこそ、さっさと根城に帰りたかったのに。
時計の下に、今最も遭いたくなかった人影を見つけた。
正確には人のようで違う何かだ。
その平和島静雄という名前の化け物を避けるように回れ右をしたところで、図ったように鮮やかな手際で捕まえられた。

疲れていた。
逃げ回ることを半分以上諦めていたのだから、そりゃ捕まりもするだろう。
馬鹿げた話だ。

ストレスが溜まっているところに暴力を加えられるというのがどういう影響を及ぼすのか。
はっきりとし過ぎている結論に頭痛すら覚える。

面倒だ。殴るならさっさと殴ればいいのに。
早く帰りたい。帰って、シャワーを浴びて、泥のように眠りたい。
ああ、湯が浸みないと良いのだが。ああ、でも骨が折れてたら温めない方が良いのだったか。
しかし、今捻挫以上の怪我をするのは不味いな。治療してくれる人間が居ない。

高速で空回りする思考にダーツを打って留めた。
何か様子がおかしい。

「シズちゃん、俺も暇じゃないからさ。やりたいことがあるならさっさとしてくれないかな」

羽交い締めにしておきながら、特に何らかの技を掛けてくる訳でもない。
上着越しだと、体温も分からない。

「ねぇ、聞こえてる?」

そもそも人の話を聞くような奴で無いことは百も承知の上だ。

「…逃げんな…」

酷い鼻声だった。
逃げるも何も、この状態からうまく逃げる方法を考えつくようなら、最初から捕まったりなどしない。

「逃げないよ、ていうかどうしたの。いや、どうしたいの、かな」

返事はなかった。
常よりやや早めの呼吸と、背中越しの拍動が煩い。
いつまで、こうしていろと言うのだろうか。

「あのさぁ、シズちゃん…」

続きを言おうとして視線をずらした瞬間、一匹の猫と目が合った。

目が合った、という表現も微妙なものだ。
何せ相手は屍体なのである。
とすれば、あいつも首がなくなれば平然と動き始めるだろうかと胸の悪くなる想像をしてすぐさま打ち消した。
どう考えても疲れ過ぎだ。
頭が煮えている。


『こいつが殺した』
内臓こそ出ていなかったものの、悲惨な状態の屍体は俺にそう告げ口した。
『こいつが俺を殺した』
そんなこと一々教えてくれなくても見ればわかるさ。声に出さずに文句を言う。
それでも毛並みの美しい黒い獣だったものは、呻くように訴えてくるのである。

「この猫、下手な所に埋めたら歌いそうだね」

遂に件の猫からの精神攻撃に負けて口に出した。

「…?」

ああそうだ。シズちゃんには聞こえてないんだった。
仮に聞こえていたとしても何で歌うなんて表現になったのか、きっと分かってない。

「知らない? 誰が自分を殺したか、骨が歌うんだよ」

厳密には骨から削り出した笛だったような気もする。

橋の下の小川でさらしものになっていた真っ白な骨。
あまりに奇麗な骨なので、羊飼いはそれで笛を作る。
すると、自分を殺した兄への恨み節を美しい音色で歌ってみせるのだ。

この世の終わりみたいな顔で、シズちゃんはこちらを見ていた。まるで血の気が無い。

「そういえばコマドリを殺した犯人も、歌の中でさらし者になってたね」

「やめろ」

口調はきつかったが覇気がない。

「誰が黒猫殺したの? Who killed black cat? ってさぁ」

「やめろって言ってんだろ!」

掠れた声で呻き、俺の首に手を掛けた。
殺せるものなら殺してみろよ。投げやりな自分が言う。
目を潰してでも逃げなくてはならない。生存本能とやらが断固として主張した。
そんなことよりも、次に何を言おうか考えることの方が大事だろう。結論だ。

「また殺すの? それも良いね。君があの可哀想な猫を殺したって知ってるのは俺だけだもの」

「臨也ァ!」

「けどさ、ちゃんと隠さないと、俺の骨もたぶん歌うよ。平和島静雄が俺を殺したってさ」

それはそれは美しい声で歌ってあげよう。骨が、だけど。

「!!」

目を見開いて、驚愕して見せた。今まで延々殺すだの何だの言ってきた奴が今更何に驚くんだか。
自分で自分に騙されてるようでは世話無いよ、君。

「諦めなよ。君が猫を殺したのはもう変えようのない事実なんだからさ。それともこの猫は君にとって掛け替えのない猫だったの?」

ゆらゆらと、瞳が動く。
ふと一点に止まって、瞼は静かに閉じられた。
目を閉じると、格段に幼い顔になる。泣き跡のせいで余計に子供のようだ。

平和島兄弟は兄の方より、弟の方が余程大人びた顔をしているのだ。
そういえば、兄弟だと弟の方が正直者で兄はずる賢いというのが民話の定石である。
弟を殺して平然としているのは兄の役目である。
その兄がめそめそ泣くだなんて、冗談じゃない。笑い話にもならないじゃないか。

「好きだったんだ、多分」

とりとめもないことに占拠されかかっていた思考を引き戻したのは、痛ましい告白だった。

「たかだか猫相手に情熱的なことだね」

その割に恨み節なんて鳴かれてるとは、ご愁傷様。
こちらの言葉をきいていたのかいないのか、漸く首から両手を離した。
痣になってたら笑えないな。力を入れられていたところを軽く指でなぞった。

「好きなんだ。けど、どれだけ伝えようとしても駄目だった。俺の声は届かないんだ」

「そりゃ、どれだけ言葉を尽くそうが、そもそも通じる相手じゃないんだよ」

何を馬鹿なことを言ってるんだろう。
時々、この男の下らないメルヘン思考にうんざりする。

「じゃあ、どうすりゃよかったんだ?」

そんなに真剣に聞かれると白けてくるという物だ。

「さぁ…猫に嫌われたことが無いから」

そう言うと、やっと自分がおかしなことを言っていたことに気づいたのだろう。
眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。

「あのねぇシズちゃん。好きだ好きだと言えばそれで済むような簡単な生き物じゃないんだよ。相手がどう思っているかなんて関係ない。
好き嫌いなんて最初から決まっていて、たまたまそりが合うか合わないかだけの話なんだよ」

こちらが好いていようがいまいが、擦り寄ってくる。
そういう生き方なのだ。幸か不幸か。

「絶望的だな」

疲れた声で呟いた。背筋が粟立つような、良い響きだ。

「よく分かったね」

日頃の憂さ晴らしには丁度良いぐらいに、彼は壊れかけていた。そして至極残念な事に、俺の思考も壊れていた。
疲労は全てを支配するのだ。

猫がもう一度鳴く。

『こいつが殺した。美しい造形も無残な骨になる。ああ、辛い!』

「O, weh!」

猫の為に添えてやった。
嘆きの歌にはお決まりの合いの手があるのだ。

「…?」

さっぱり分からないといった風に首を傾げる。そりゃ、分からないだろう。

「でも大丈夫だよ、シズちゃん。君がどう思っているかは別として、俺は君を愛してあげられる。―――今なら、ね」

『ああ、辛い!』

可哀想な黒猫の骸を抱きかかえて、屍のにおいを纏う。
公園の花壇に丁寧に埋葬した。
春になれば、色とりどりの花が咲く花壇の中に、そんな秘密が眠るのだ。
嘆きの歌の方では、色鮮やかなの花々の中に、白骨が晒されている。
意図しない擬えに気付いて、腹が捩れそうになった。

我ながら良い趣味だ。
最高に愉快で、おぞましい。

「君の敵は取るからね」

土の下の猫に囁いた。嘆きの歌はもう聞こえない。







未練と復讐心とどちらが長持ちすると思う?







原稿用に書いていて、あまりにも救えない続きになりそうだったのでぶった切り。 なので、タイトルに深い意味は有りません。 推敲する体力が来い。 2010/11/10