「ドタチンは携帯持ってないの?」 いつだったか、そんな話になった。 「いや、持ってるが…」 「じゃあ番号とアドレス教えて?」 ほら来た。思わず溜息を吐きそうになった。 いつかは通らなければならない道だろうとは思っていたが予想外に早かったな、とも思った。 臨也は二つ折りの携帯をぱかぱかと開け閉めしながら待っている。 俺が拒否する、という選択肢は最初から頭に無いのだろうか。 「そんなの知ってどうするんだ」 念のため確認しておく。殆ど無駄な作業だと分かっていても一応の手順は踏んでおきたかった。 「やだなぁ、君といつでも連絡が取れるようになる為だよ。他の理由なんて必要?」 小首を傾げ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。そう言う仕草は女子生徒の特権だ馬鹿野郎。 そう思っても言えない自分に再度溜息を吐きそうになる。 「個人情報だからな」 代わりに、少しばかり堅めの言葉で誤魔化す。 「いくら積まれても、他人になんて売らないよ」 だってドタチンのことは独占したいぐらい好きだもの。 悪びれもせずにそう言ってみせた。 そう言うところが一番の不安要素なのだと本人は分かっているんだろうか。 分かっていてやっているなら相当な神経の持ち主だ。 機嫌良さそうな様子が憎らしい。してやったり、とでも思っているんだろうか。 「というより、お前の場合俺が言わなくてもどこかしらから買ってこれるんだろう?」 まどろっこしい事をしなくても、それこそ本人に聞くよりも迅速に手に入れることが出来るだろう。 それが彼の情報収集能力であり、ネットワークの目の細かさだ。 「そりゃ、そうだろうね。けどドタチンが教えてくれないなら別にそれでも良いよ。教えたくなったら教えてくれたらいいし―――」 こちらが随分と意地の悪いことを言ったにも拘わらず、嫌な顔一つ見せずに明るく言ってのける。 その辺りに、彼の病巣が見える気がした。 嘘くさいのだ。 俺に対しては機嫌を損ねた様子を一切見せない。 万人にそうである、という訳でも無く、相手によってはいつも不機嫌そうに接していたりもする。 機嫌が悪くならない質、というのでもなさそうなのに。その辺りのことがどこまで行っても引っ掛かる。 一度引っ掛かってしまった糸を解くのは中々難しい。 漠然とした違和感を抱えながら、臨也とは接し続けていたのである。 それでも良いと思っていた。 そこまでの付き合いしか要求されていないのだろうと思って、大人しく言うことを聞き続けていた。 出会ってこの方、四、五年程。 ただそれも今日までの話だ。 陽光にきらりと、蜘蛛の巣が光る。 「…別に良いぞ。ほら、貸せ」 「え? …良いの?」 きょとんとした顔でこちらを眺めている。 「お前が教えろって言ったんだろうが」 「そ、それはそうだけども…」 携帯を奪い取ってデータを打ち込み始めると、落ち着かない様子であらぬ方向に視線を彷徨わせた。 間違いない。 こいつは最初から俺が拒否する体で話を進めていた。 どうせ『そりゃ俺なんかには教えてくれないよねー、あーあ、ドタチンって結構容赦ないなぁ』 とか何とか言って、その先一生番号を聞いて来ないつもりだったのだ。 そうすれば、自分の番号を言う必要も無いだろう。きっとそこまで考えていたに違いない。 「ほら、入れたぞ」 登録認証を押し、携帯を返す。 「ああ…うん…」 どうしたものか途方に暮れ居ている様子の臨也に畳み掛ける。 「お前も言うことがあるだろ」 「え? 何…って…ああ、ありがとう、とか?」 「番号とアドレス」 自分の携帯を臨也の目の前に翳す。 臨也は暫く無言で瞬きした後、困ったような顔で緩く息を吐き出した。 「言わなきゃ駄目かなぁ…」 日頃他人を追い詰めることに生き甲斐を見出している男から勝ち星を取れたようで気味が良い。 若しくは、悠々と飛び回る黒揚羽を捕らえたような。 「そりゃ礼儀ってもんだろ」 こちらの言葉を噛み締めるようにして、また暫く臨也は黙り込んでいた。 半分ほど閉じた目。唇が僅かに動いた。 「あの…携帯に登録しないでって言ったら…怒る?」 見上げるようにして、臨也は問うた。無自覚な媚び。 「あ?」 しかし目的がはっきりしない以上、はいともいいえとも言う訳には行かない。 「いや、あの…うん…変なことを言ってるのは分かるんだけど…なんて言うか…だから…」 逃がして下さい。 顔にそう書いてある。藻掻けば藻掻くほど糸が絡まっるから、どうすればいいか分からなくなっている。 皺の寄った眉間を軽く指で突いた。 「登録さえしなきゃ良いんだな」 俺の提案はそれこそ救いの糸に見えたかも知れない。 「…そう…だね」 掴むと切れる、蜘蛛の糸。 「じゃあ言えよ、掛けるから」 ぎょっとした臨也にもう一度、ゆっくりと繰り返した。 「いや、あのドタチン」 目が合わない。合わせられないんだろうな。多分。 「空で打てるようになるまで掛けてやるさ。それなら条件は満たしてるよな」 そう簡単に逃げられると思うなよ。 「…そんなに、性格悪かったっけ?」 口元が歪む。 「さぁ、どうだろう。少なくとも善良だった覚えはないな」 「ふふ、怖いなぁ…」 臨也は目を閉じて深く溜息を吐いた。 再びその目を開いたときには、もう何処にも揺らぎなどなかった。腹を、括ったのだ。 「精々きちんと覚えておいてよね」 そう前置きして、単なる数字の羅列をとても神聖なものであるかのように謳い上げた。 発信ボタンを押すと、目の前で携帯が振動する。 嘘じゃなかっただろう? 目は口ほどに物を言う。 ―――珍しくな。 こちらもまた、視線だけで返した。 善人なんて生き物は、未だ見たことがない。Spider and String
原稿を書いてる段階で出て来た何か。 相方に「ドタチン怖い(´・ω・`)」されたのでお蔵入りしてたのを再利用。 ヤンデレまでは行ってないので個人的にはセフセフ。 2010/10/19