smoke, the strange air

―――少なくとも、ガキ相手に本気でキレる人だとは微塵も思っていなかった。 薬漬けの人間やアル中に比べれば随分とマシだから、俺も多少なりとも油断していた節がある。 見境無く暴力を振るうタイプでないことを知っていたのも油断の原因の一つだ。 だがよく考えると、このオジ様は―――見た目だけなら自分より一回りは上に見えるのだが、 実際の所、オジ様なんて呼ぶのが申し訳ないほど若く、またキレやすいニコチン中毒患者なのであった。 「折原さん」 苛立たしげな口調が分かりやすい。 「アンタのやることの大半は許してるつもりなんですがねェ」 自分よりも遙かに『オトナ』なのであろう四木さんは嫌みったらしく紫煙を吹きかけてきた。 化学物質に殺意を託して、言葉だけは優しく。 正に模範解答じゃないか。 「ええ、四木さんにはいつも贔屓にして貰ってます」 こちらも何だかんだ言って社会人なので、それなりに『オトナ』な切り返しをする。 つまり、これは俺にとっての『ビジネス』なのである。 「そういう話をしているんでしたっけ? いえ、年を取ると忘れっぽくなってしまいましてね」 「さァ―――何でしたっけねぇ…」 灰皿には四本分の吸い殻が押し潰されている。 これだけハイペースで吸えば、嘸や肺に負担になっていることだろう。 自罰的にすら見えて時に滑稽だ。 「思い出して貰わなきゃ困りますよ折原さん。でなきゃ、『うっかり灰皿の場所を間違え』そうだ」 けれど彼はいつだって自分に甘く他人に厳しい。 それもそうだろう。 自分の欲求を抑えることもできず、他人の健康を平然と踏みにじることが出来る人間だけが初めて煙草を吸う権利を得る。 「耄碌するには早いですよ、四木さん。俺が何をしました? 単に貴方とは違う銘柄のモクのにおいがする位でそんな」 「そんな、なんですか?」 ギロリ、と音がしそうな目つき。 「そりゃ世の中にありとあらゆる煙草があるんですから、別の煙のにおいだって付きますよ。 貴方以外にも喫煙習慣のある人間なんてごまんと居るんだから」 香水然り。 他人のにおいが許せないなんて言ってたら生きていけないだろう。 「そういう話じゃねぇだろガキが」 元々吸い殻が溜まっていたところにぶしゅう、と音を立てて、新しい吸い殻が追加される。 遂に蛇だか蝮だかわからない彼の「中身」が出て来た。 視線だけで獲物を射すくめる、百戦錬磨の捕食者。 「『メントールのにおいをさせるな』ってのは言ってあったよな」 そんないい大人が何をくだらない事でキレていらっしゃるのか。 「そりゃ失礼しました。次からはなるべく禁煙エリアを選びますよ」 誰も『吸わない』なら、好きなにおいもきらいなにおいも有るまい。 「次にやったら、良い加減見逃しませんからね」 残念。 蝮は存外大人しく巣の中に帰って行った。 気が済んだのか、新しいのを一本取り出して火を点ける。 その仕草だけは感心するほど様になっている。 ああ、なんて『オトナ』 「そう言うところにみんな惚れるんですね」 大人同士の付き合いとはそう言う物だ。 この人が囲っている何人かの女だって、きっとそんなつまらない理由で付き合ってる。 残念ながらまだ若輩の俺には直接関係のある世界じゃないが。 「みんな―――ねぇ」 四木さんはそうでなくとも恐い顔を更に顰めて息を吐く。 「自分は違うとでも言いたいんですか?」 「まさか。俺がそう思うってだけの話なんですから、当然自分も含めて、ですよ」 「それはまた遠回しな言い方されますね」 「俺が素直に吐きそうに見えます?」 「いえ、全く」 それだけ言うと、ちょいちょいと手招きをする。 はて、根性焼きの一つや二つ入れられるのかと思いつつ近寄ると、思いっきり煙を吹きかけられた。 咽せる俺を醒めた目で見ながら、 「何もかも誤魔化しきれると思うなよ」 と鋭い調子で言う。 「誤魔化す? 心外ですね。俺はただ、言う必要のないことは喋らないだけです。それがうまく生きるための知恵でしょう?」 すると彼にも思うところが有ったのか、 「それもそうですね」 といやにあっさりと折れた。 「今度からは吸わない男にしてくれませんかねぇ、折原さん。余計な詮索なんてお互いのためにならないでしょう?」 思いの外気弱な一言に吹き出すところだった。 なんだって? 天下の粟楠会幹部が今なんて言ったんだ。 「はぁ…何の事やら分かりませんが、気を付けますよ、取引相手には」 喫煙者だらけのこの業界では到底無理な話なのだが。 「じゃあ、この話は忘れましょう」 そう言ってまだ新しい煙草を押し潰した。 (煙で目を潰される)

四木さんと臨也を書いていたはずがどんどんよく分からない方向に話が走っていく不思議。 これは同人界七不思議にカウントしても良いと思う。マジで。 2010/09/20