格言的孤高

『天国にひとりでいたら、これより大きな苦痛はあるまい』―――J.W. von Goethe,「Sprichwörtlich(格言的)」より 例えばそう、この手から零れ落ちていく砂が何一つとして語らないように、俺はきっとこんな風に消えていく。 興味を持って関わった全ての対象から、さっぱりと忘れられて、何事も無かったかのようにまた世界は平穏を取り戻すだろう。 俺の居ない、平穏。 ああ、違う。 俺が居るからこそ平穏が失われているのであって、それがフラットな状態に戻るだけの話なのだ。 俺だけじゃない。 人間なんて物はどうせそんな風にさらさらと指の間をすり抜けていくものでしかない。 だからこそ、生きている価値がある。 俺は恐らくこの世で一番「愛」が重い。 自分ですらも足を取られるほど、重いのだ。 重すぎて誰にも背負わせられないから「人間」という漠然とした対象を愛することにした。 無論、そこに「折原臨也」は居ない。 愛情の対象としての折原臨也を認識できるほど、俺は自己愛の強い方ではないのだ。 でも、自分だけがその愛から疎外されているのは何だか寂しく思えたので、一人だけ、例外を作った。 愛してやらない。 たった一人、そう、 ―――シズちゃん、君だけだよ。 名誉なことだと思わない? 何せ「全ての人間」という括りからはみ出してしまっているんだ。 そうそう無い事じゃない。 だから。 君を殺す為の手段を色々講じてきたけれど、それがとんだ自己矛盾だってことには目を瞑っていたい。 だって気付いてしまったら折角の内面の安定が崩れるじゃないか。 言うなればトランキライザー。 俺は―――折原臨也は、その「例外」に構っている間だけ、愛からの疎外に気付かないふりが出来るのだから。 逆も又然りだろう。 あの男は誰よりも自分を嫌っていて、しかしそれに気付いてしまっては生きていくことが出来ない。 この世界で一番憎い敵を創り出すことで、自分への嫌悪を隠しきろうとしている。 或いは、すり替える。 苛立ちの理由を己への怒りから、敵への憎悪へとそっくり入れ替えてしまうのだ。 平和島静雄という男は 何も考えていない。 しかし、彼を守るための本能は、極めて高度に発達している。 過剰な防御だと、傍目には映るのだが。 自分を守るための優しい真綿でそのまま首でも絞められて死ねばいいのに。 最高に面白い。 でもきっと、そんなことになったら俺は少しだけ後悔する。 後悔とは少し違うかも知れないが、それに似た何かを俺は経験するのだろう。 気付かれたら、負け。 彼が俺に依存している事も、それを彼に気付かせてはいけない事も、俺はきちんと把握している。 気付いたらその段階であの小心者はどちらかに針を振り切らせようとするのだ。 そしてそれが十中八九、俺にとって都合の悪い方向に振り切れることも当然分かっている。 だって俺もあのシズちゃんも、本当はひとりぼっちなんて、嫌だからさ。

深い意味は いつの間にか消失しました。 どこか言葉遊びじみてきた…。 2010/10/12