規則的な反転

大概自分は我慢強い方だと思う。 どんなに自分が嫌われていると知っていても、それでも健気に愛し続ける事が出来る。 ただ、それが自らのマゾヒスティックな欲望に基づいていると言われてしまえば其れまでだ。 確かに、どちらかと言えばマゾ寄りかもしれない、とぼんやり思う。 が、それはあくまでも愛故の事なのだ。 どれだけ拒まれても、虐げられても、それでも構わないと思えるのは愛しているからこそなのだ。 でなければ、それは正真正銘の変態ではないか。 要するに、何が言いたいかというと、 「いい加減腹立つなぁ、ほんと」 体中に痣を作られるのが苛立たしいのだ。 世界中で唯一愛していない人間に此ほど激しく暴行を加えられれば、誰でも苛立つ。 苛立つ、何てぬるい言葉では表現しきれない。 ああ、殺してやりたい。 ほぼ不死身と言って良いほど強靱なあの男をどうすれば殺せるのか、想像も付かないのだが。 「バイクに轢かれるぐらいじゃ絶対無理だし」 声に出すほど虚しくなる。 けれど、無理にでも陽気な気分にならないと、肺の辺りの痛みを思い出す。 加減を知らないあの男は、こちらの骨を折ることぐらい何とも思っていない。 「普通の人間は、死ぬんだ」 あんな化物と一緒にしてはいけない。 普通に骨は折れるし、殴られれば血管が破れて鬱血する。 おまけに体中が、気を失いそうになるほど、痛くなるのだ。 「ほんと…死ねよ、シズちゃん」 どれだけ拒絶されても人間を愛し続けられるのは、偏に「最後には自分の言うことを聞く」という確信があるからだ。 どれだけ嫌われていても、きっといつか自分の方を向いてくれると思えば辛さは半減する。 そう。 だから「決して自分の思い通りにならない」あの男をどうして愛せようか、という話なのだ。 自分を心の底から拒絶するあの男に、どうして愛など傾けられよう。 ―――まぁ「愛」なんてわかったためしは無いのだけれど。 言葉の定義は解る。 使用例だって嫌と言うほど見てきた。 だがそのどれもが、歪で、狂気じみていた。 自分も、含めて。 何となく己の内に潜んでいる矛盾に気付いている。 本当は、逆だ。 愛しているという言葉を、大嫌いだという言葉と見事にすり替えてしまっている。 なら大嫌いこそが愛しているの代わりかと言われれば、それに答える術はない。 ただ、意識下に沈めて見ない振りをすることにしたのだ。 気が付いた時が終わりだ。 折原臨也としての、根幹が崩れる。 「池袋は棄てられても、あれは棄てられないなんてさ」 あまりにもあからさまな未練。 露骨な情。 卑怯な自分は好きだが、戸惑う自分は大嫌いだ。 そうして、段々と自分が解らなくなってくる。 考えれば考えるほど、自分という迷路の中で道を失ってしまう。 「まったく…困ったものだよね」 誰に向けるのでもなく静かに苦笑する。 一体己は何の為にこんな痣まで作って生きているのか。 そんな青臭い問いかけからはとっくに卒業したと思っていたのに。 「馬鹿が羨ましいな」 真っ直ぐに、信じた道を突き進める人間を。 自分で決めることが出来る人間を。 あれこれ思い悩むことのない人間を、心の底から 憎んでいる 「これだから俺は…人間が好きなんだ」

真っ直ぐ悪役なのに何だかじくじく考えてそうなのが良い。 いやー、ほんと悪役好きだな…。 2010/01/15