条理なんて物がこの世にあった試しはない

「ひっどーい。俺は大人しく新宿に帰りたいだけなんだよ?」 端から見れば全く正当な、でもこちらからすれば人を馬鹿にした理由だ。 「理由があろうが無かろうが、俺はお前が生きてるだけで吐き気がするんだよ。さっさとくたばれ」 足払いを躱し、右腕をカウンターで打ち込む。 流石に狙いは外されたが、こちらの一撃を相殺する為に出された腕を捉えた。 肘を折るつもりで力を掛ければ、それを見抜いたのか自ら身体を振った。 何度も壊されれば、何となく感覚で解ってくるのだろうか。 不愉快だ。 「ほんと、お前が居るだけで苛々して仕方ねぇよ」 逃げられないように手首を押さえ、壁に叩き付ける。 なま白い手から短刀が零れ落ちた。 「なら、構わなきゃ良いじゃん」 「てめぇの方から構って来やがるんだろうが!」 少し指の力を増すと、眉間に皺を寄せて呻いた。 「痛い、いたい、って」 顔が苦痛に歪む。 普段はむしゃくしゃするようなすまし顔ばかりなのに。 「あ?」 其れが妙に快感だった。 「いたい…シズちゃ…い、た」 余裕綽々、といったいつもの空気はどこかへ消えた。 生かすも殺すも己の手の内にある。 鼠に爪をかけた猫の気持ちが少しだけ分かった気がした。 「…聞こえねぇな」 抑も、こいつが同情に値するような人間でないことを熟知しているのだ。 何を躊躇うことがあるのか、という話ではある。 「…っ…腕…おれちゃう、よ」 遂に泣きが入った。 意外だったとも言えるし、まぁそうなるだろうと予測できなかったわけでもないだろう。 それよりもこいつの本質的な歪みを知っていても尚、庇護欲が湧き得るとは我が事ながら驚いた。 だが、其れを上回る嗜虐心が今の俺を支配しているのだ。 「折ってやろうか。どうせ有ったってろくな使い方しねぇ腕なんだしなぁ」 本来なら、足で踏み潰してやる予定だった。 靴の踵で指を折ってから、肘から下の骨が粉々になるまで蹴りつけてやろうと思っていた。 其れを、手首を折る―――それも、片手で握り潰す程度で勘弁してやるだけでも随分と譲歩したと思う。 「…だったら、せめて、頚の骨からさき、に折っ…てよ」 冷や水を浴びせかけられた。 「は?」 何故そんな事を指示されなければいけないのか解らない。 それ以前に、頚の骨から折ったら、それは確実に死ぬだろうが。 …死ぬ? 待てよ、常々殺す気で居るんだ。 何でそこで躊躇うんだよ。 おかしいだろうが。 「あまり…いたい、おもい、したくない…から」 ぐったりと、最早痛がることにさえ疲れたかのように。 これが奴一流の処世術とやらだろうか。 抵抗すれば酷い目に遭うと解っているから、その場限りの恭順を見せるのだ。 そう、解っているのだが。 静かに、物言わぬ瞳が見つめてくる。 何を考えて居るのか他人には全く伝えない、本当に役立たずな目だ。 普通の人間なら、これで完璧に毒気を抜かれてしまうのだろう。 心の奥底からわき上がるような憎悪を持たない人間にとってはこれ以上ない鎮静剤なのだろう。 醒めた視線につられて、自らの激昂さえも冷まされてしまう。 だが、それでは腹の虫が治まらなかった。 この人間の屑にして全ての人間の敵のような男を無条件で許すのは自分の倫理観に照らし合わせても不自然だった。 だから、なのか。 それとも、それなのに、なのか。 何れにせよ結果は変わらない。 噛みつくようにキスをして、僅かに指を緩めた。

理屈が通らないのはままあることです。 ぼこり愛、けなし愛、殺し愛。 それが俺のジャスティス。 2010/01/15