※新羅と臨也。色々前提が多すぎる。

étude

「君は、さ」 半分ぐらい死んだような状態の友人に語りかける。 殴られたり骨を折られたり、というのは日常茶飯事だ。 最早驚くべき事柄ではない。 しかしながら。 「少しばかり自分のことを計算に入れるようにすべきだと思うよ」 明らかに性的な暴行を受けた上で此程までに弱っている臨也は、久しぶりである。 直視するのを躊躇わせるような、酷い有様だ。 服は、着ている。 所々布が裂けてはいるが、それ程大きな問題は無い。 だが、とても虚ろなのだ。 こんな風に呆然としている彼を見ることなど、滅多にない。 「…入れてるさ。きちん、と」 喉は殆ど潰されたようだ。 比較的気に入っている声ががさがさと掠れているのを、余り快く思えない。 目立った外傷…は。 首に指を這わせると、臨也はぎくりと身体を震わせた。 「…何、されたの」 執拗な程首周りにばかり残されている、痕。 普段大きく首元の空いた服を着ることが多いのに、難儀なことだ。 他人事なので、割にどうでも良い感想すら出てくる。 「別に。ちょっと殺されそうになっただけだよ」 いつもの滑稽ささえ感じる微笑みを作ってそう言った。 臨也は可哀想に、面の外し方すら忘れて仕舞ったらしい。 まぁ、言えば十中八九自分にも返ってくるのだ。 藪蛇は、つつかない。 「そうか。死に損なったんだね」 ざっと見た感じだが、痣や細かい擦過傷ばかりだ。 『吊られた』訳ではないようなので、ひとまず安心する。 しかし、かなりの深度まで裂けてしまっているであろう襟元の傷口が生々しい。 指で周囲をなぞる。 「っう…!」 ここに来て初めてまともに痛そうな顔をした。 痛覚さえ麻痺したかと思っていたが、そうではなかったようだ。 少し、安堵にも似た何かを感じる。 しかし、どう見てもこれは歯形、だろう。 犬歯に食い破られている、と言った様だ。 …そこまで考えて、端と或る可能性に思い至った。 「まさか、静雄…じゃないよねぇ…」 その呟きを聞いてか聞かずか、 「ほんとさ、早く死ねばいいよね、シズちゃん」 と決まり切った愚痴を零した。 それは肯定なのか。 半分ぐらいまだ信じられずに臨也の目を見る。 何かを諦めたように閉ざされた瞼は、答えることを拒否しているようにも見えた。 「…まさか静雄に限って、君をそんな風に扱うとは思ってなかったよ」 そう言えば、臨也は少しばかり思うところがあったらしい。 呻きを噛み殺して、身体を起こした。 自分は曲がりなりにも、医者だ。 止めさせるのが務めなのだが、友人としての自分がそれをさせない。 彼には彼の考えがある。 それを踏みにじってやるのは如何な物かと思うのだ。 「どういう、意味かな」 それだけ言って、彼はごほごほと咳き込んだ。 気管に何か入りかけたのかも知れない。 人間は自分がされたいことを、人にする。 つまりは、自分も又、自分の考えを尊重して欲しいと思っている訳だ。 分かり易い思考回路である。 臨也の咳が収まるのを待って、 「静雄はさ、君のこと、別に嫌いじゃないよ」 と言えば、まぁ予想したとおりとても冷笑的な表情になった。 余計なお世話だ、と自分でも分かっているがつい口が滑るのだ。 臨也とだけではない。 静雄とも、付き合いは長い。 殊更に静雄は分かり易い精神構造をしているので、かえって臨也には分かり辛いのではないか、というのが今までの経験則。 「ああ、そうかもね」 しかし、最近見ていて気付いたのは『実際はもっと面倒だった』という事である。 「君が何か『余計な事』をしない限り、彼は過度な暴力を振るったりしない」 今こうして口にしていることだって、完全に余計な一言である。 というのも、彼は一々僕に言われるまでもなく、とっくに理解しているのだ。 おかしいとは思っていた。 彼の人間観察力は或る意味感嘆に値するような代物だ。 それなのに、『平和島静雄』の事だけは一切理解出来ないだなんて、都合が良すぎる。 そう。 『都合が良すぎる思い込み』に、彼は自分自身を売り渡した。 …普段はそれでも構わないかな、と見逃せる。 お互いにそれでいいなら、当事者以外が口出しする物でもない。 「贔屓目だよ、新羅。シズちゃんはもっと」 ただ、今日ばかりはどうしても黙ることが出来ない。 「もっと人間くさい、かい?」 存外冷たく響いた。 もう少しうまく変化球を投げるつもりだったのだが、いけないな。 本当に腹が立っているらしい。 「…機嫌悪いのか?」 敏い臨也はそのささやかな言い損ないに気付いてしまったようだ。 目が鋭く細められている。 相変わらず、回転の速い男だ。 「そりゃ、僕だって機嫌の悪い日は有る。君はどう思ってるか知らないが、自分の友人をこれだけずたずたにしてくれた男には当然腹を立てているよ」 ―――それは全くの本心だった。 最初に臨也を見た時に感じたのは、痛ましさよりも同情よりも、確固たる怒りであった。 自分にもそういう人間らしい発想がきちんとあったことに少しばかりの感動も覚えたが。 「………止めてくれ。俺は、あんまりそういうの得意じゃないんだ」 人から心配されたり気を遣われたりすることを、臨也は極端に嫌っている。 唯一例外的に門田京平にはそれを許しているようだが。 が、僕のは単なる気遣いでもなければ優しい心配でもない。 「あのね、臨也。君は上手く生きているつもりかも知れないけど、見てるこっちはいい加減にしろって思ってることの方が多いんだよ」 純然たる怒りの占める割合が、とても大きいのだ。 無論、心配はする。 しかし、それより何より、すぐに自分を投げ出そうとするこの男に我慢ならないのだ。 「人様の生き方には干渉しない主義じゃなかったの?」 それは、赤の他人に対しての話である。 幸か不幸か、俺は折原臨也に公私隔てなく付き合いがある。 「…静雄だね。でも静雄だけじゃない。寧ろ、静雄は決定打だ」 一瞬、息を詰める様な音がした。 微かな動揺だ。 だがそれだけ反応してくれれば十分である。 「何の話かな」 ほぼ、間違いない。 推測は確信に変わった。 「長年君を見てるんだ、嫌でも分かるよ」 臨也をここまで徹底的に叩きのめす事が出来るのは、静雄だけだ。 他の何に対しても殆ど感情の揺らぎを見せない。 今日の彼がいつもより『大人しい』のは、偏に静雄のせいだ。 「………確かにさ、全部が全部思い通りにはならない。怪我することも、死にかけることも幾らでも有るよ」 ただ、何がそこまで静雄を駆り立てたのか。 臨也の様子を見る限りでは、彼自身よく分かっていないようだ。 「ただ、頼むから痴情の縺れだけは勘弁してくれよ。後味が悪いから」 自分で言ってみて、背筋が寒くなった。 臨也ほどその響きが洒落にならない男を他に知らない。 「ははは。そんな物じゃないよ…あれは、そんなのじゃない」 そう言って彼は目を細めたが、口元が僅かに歪んでいる。 「…君の場合、洒落にならない」 割に真剣なトーンで言ったからだろうか。 臨也は茶化すこともなく、暫く黙り込んだ。 彼なりに、反省すべき所も有る筈だ。 態々危険なことに首を突っ込む癖とか、人間で『遊ぶ』癖とか。 「…そんな時は助けてくれるんだろ」 商売用の、最も彼が自信を持っている笑顔で、そう言った。 呆れる程潔い男である。 自分の使い方も、自分の捨て方も、酷く客観的に把握している。 それはとても恐ろしい事だ。 絶対意志が欠如している。 「誰が」 軽く睨むと、彼は笑って、 「お金が」 と端的に答えた。 …よくやるんだろうな、と思った。 こういうことを色んな相手に試して(時には冗談として切らずに)人間を量っているのだ。 熟々、趣味の悪い奴だ。 「闇医者を目の前にしておきながら、その言い様はどういう事だい」 静雄が哀れだ、と偶に思う。 彼は僕のように割り切って臨也と付き合う事が出来ない。 それは彼の性格による物なのか、それとも彼の要求する関係性によるものなのか。 何れにせよ、毎度毎度臨也に振り回されるハメになる。 まぁ、恐ろしいのでそれに対しては何も言及しないのだが。 「正当な対価を払って、君に治療して貰ってるんだ。報酬のない仕事なんて君も嫌だろ」 最高に下衆だな、と思う瞬間だ。 だが、とても端正な外見とのアンバランスさが、個人的に好きなのである。 どうして自分が臨也と上手くやっていけるのか、何となく分かっている。 私も、大概に下衆なのだ。 「それは勘弁…と言いたいが、君にのたれ死なれる方が余程寝覚めが悪いよ」 臨也は目を丸くした。 「…意外だな、新羅はもっとドライだと思ってたんだけど」 小さく溜息を吐いて、ぐしゃぐしゃになっている臨也の髪に指を通した。 相変わらず指通りの良い、柔らかい髪だ。 「…新羅?」 不思議そうな口調。 初めて会ったときから、変わらない。 彼が名前を呼ぶ時のその微かな調子の差が、心地良い。 「君は私の数少ない友人の中の一人なんだ。一番仲が良い部類のね」 梳けば直ぐに大人しくなる、素直な髪だ。 本人には、これっぽっちも似ていない。 「ははは、可哀想に。友達居ないんだな―――まぁお互い様だけど」 自嘲気味に笑って、お返しだとばかりに酷く艶やかな微笑。 ああ、これは仕方がないのかな、とぼんやり思う。 世の中にはどうしようも無く人を惑わせる生き物が居る。 この男然り、自分の最愛の『彼女』然り。 他人の人生を狂わせる為だけに生まれたような、そんな生き物だ。 それを愉しいと思えるか、ただ苛立ちを覚えるかは個人差なのであって。 す、と髪を掻き上げた瞬間、仄かに煙草の残り香が薫った。 「…あれ、静雄ってさ。煙草変えたの?」 尋ねると、臨也は軽く首を横に振った。 「あの頑固者がそう簡単に銘柄変える訳無いだろ」 …なるほど、そう言うことか。 ということは、やはり首の噛み傷の辺りには何かしらのものが『有った』のだ。 「…あんまりからかってやらないでよ、ああ見えて静雄も繊細だから」 思う所があったのか、臨也は黙って聞いていた。 そして、傷口に手をやりかけて、止める。 「あの人も酷い事するよね」 自分の事なのか、誰の事なのか、どこか疲れたように臨也は呟いた。 (誰も、彼も。傷付け合う為に生きているのだ)

駄目ですねぇ、新羅が一番入り込んでしまう。笑 だらだら長くなるのは良くないんですけど、削り方が思い出せない。 シズイザシズがあって、シキイザがあって、ドタチンと臨也さんがあって、の、新羅。 なので、岡目八目になりがち。 2010/05/03