東洋に於ける人魚というのは少しばかり変わっている。
ヨーロッパの人魚が破滅の象徴なのだとすれば、東洋の人魚は祟るものであったり、吉兆であったりと多面性を持つ。
人魚の肉を食った八百比丘尼は不死になり、若い美貌を保ったまま全国を放浪したと言われる。

良い物でもなければ悪い物でもない。
単にそれは気味が悪いほど、美しいままなのだ。

その話を聞いて、ふと思い至ったのである。


人魚 Ver.S

「そういえば君、人魚の肉でも食べた?」 開口一番に馴染みの医者はそう言った。 「どうして」 余りにも話が突飛すぎて、質問の意図を掴みかねた。 「いやね、五年ほど前の写真が出てきたから懐かしい思い出に浸るのもまた一興かと思って暫く眺めていたんだけれど」 「それは良い暇潰しじゃないか新羅」 「君、沖縄で人魚の肉を食べただろ」 順を追った説明を期待して聞いてみたのだが、見当違いだったようだ。 頭の回る人間に『一を聞いて十を知る』タイプの人間というのが存在する訳だが、今の話だと一を聞いて百を知らねばならない。 何事にも限度という物が有るのだ。 与えられた情報量が少なすぎる。 「だからどうしてそうなるんだよ」 呆れ半分で呟いた。 これはきっと詳しい説明を望めないであろう話なのだ。 とんだ貧乏くじを引かされた。 「…あれ以降君は一切年を取っていないように見えるよ。顔も老けない、体格も変わらない」 こちらの溜息をどう解釈したのか、多少まともな情報が提供される。 「そんなわけがないだろ」 しかし、内容の突飛さそのものには何ら影響を及ぼしていない。 「背も伸びていないし」 ―――地味に、酷いことを言われた気がした。 「………それは偶々成長期が終わったんだろう」 顔面の筋肉が引きつる。 いや、気にしていない。 身長如きが一体何だって言うんだ。 そんな物が人間の本質にどう関係する? 冷静になれ、俺。 「老いない代わりに成長もしない、という代物だったのかも」 こちらが内なる敵と戦っているときに、奴は勝手な解釈を述べ始めた。 「だから何で俺が人魚の肉なんて食べた事になってるんだよ」 そもそも、人魚の肉、という荒唐無稽な存在を前提条件無しで引き出してくるあたり、話が破綻している。 「いやぁ…他の面々はそれなりに変わってるんだよね、やっぱり。静雄も随分と体格が良くなったし」 「あれは例外だよ。化け物みたいな奴と比べるとそりゃだれもが変わらないように見えるって」 あいつの名前が出たことに少し苛立ちを覚えながら返す。 「僕も随分と老けたけれど」 高校時代と殆ど変わらない顔が言う。 「自分の事はよく観察しているからそのぶん細かいところにまで気がつくんだよ。それだけの差だって」 馬鹿馬鹿しい。あの頃と寸分違わない、だって? そんな訳があるか。 あれから何度もつまらない怪我をしているし、色んな事を覚えたし、きっと気付かないだけで身体だって老いている。 「寧ろ、絵空事だというならどうしてそこまで向きになって反論するんだい臨也」 尚も食い下がってくる新羅。 「…下らないことを言うなよ」 そう、くだらない事だ。 そんなことを突き詰めたところで何も得ることなど無い。 「あれだけ動揺した様子で旅館に帰ってきておいて、それは無いんじゃない?」 「は?」 誓って言おう。 そんな記憶はない。 「あれ、忘れたとは言わせないよ」 「忘れたどころか有りもしないイベントをでっち上げるな」 冗談にしてはたちが悪すぎる。 「寧ろ、覚えてない方がおかしいよ。そんなに気になるなら門田君にでも電話してみると良いよ」 何でそんなに自信ありげなんだ。 これには少しばかり気味が悪くなった。 自分の記憶に欠損がある、だと? 馬鹿な。 そんなに大事になったなら覚えていない訳が無いじゃないか。 「ドタチンが、嘘をついてくれるとは思えないけどね」 「大丈夫だよ、ありのままを話してくれるから」 そう言われると余計に猜疑心がわく。 しかし、新羅に対する疑いというよりも半分以上自分の記憶に対する疑いなのかもしれない。 記憶は騙る。 記憶は眠る。 自分の特質を考えると、百%の自信を持って『そんな事は無かった』とは言えないのである。 無論『そんな記憶は呼び出し可能領域に無い』とは言い切れるわけだが。 何となく釈然としない。 「あのさ、仮に世の中に人魚の肉なるものが存在したとしよう。その上で、食べたら老いないだなんて誰が決めたんだよ」 「あれ、臨也ともあろう人間が八百比丘尼を知らないなんて意外だな。凄く有名な話だよね」 頭を殴られた様な衝撃が走る。 誰だ、今俺を殴りつけたのは、誰だ? 「八百比丘尼…いや、知ってる。知ってる筈だ」 もやもやする。 「どうしたの」 いらいらする。 「知ってる…けど…知らない」 ぐらぐらする。 「…どういうこと?」 新羅の目に映っているのは一体誰だっけ。 俺だ。 俺なんだけど。 「そんな名前だったことは、まだ、ない―――」

ファンタジーファンタジーし過ぎたのでぶった切った。 原稿用に書き出した諸々の中の一つ。 箸にも棒にもすぎて…笑 2010/12/04