認めない。
認めたくない。
認めてください。
すべて、すべて。
Ermorden Sie mich
前に…それこそ百年ぐらい前に戦ったときにも思ったことだが、奴は弱い。
自分と同じようにして生まれたはずなのに、驚くほどアレはか弱かった。
脆弱、軟弱。
いくらでも言いようがあった。
だが、自分には無かったものを沢山持っていたのも確かだった。
それを、優れているとするか、劣っているとするかは別問題として。
「国民を纏めるためには、他に手がない」
上司の言うことは、絶対。
逆らわないし、逆らう気にもならない。
彼らが間違ったことを言うはずがない。
そう、信じている。
「大丈夫だ、相手は話にならないぐらい弱い」
知っている。
誰よりもよく、奴の弱さは知っている。
「お前なら、確実に勝てる」
無論、そのつもりだ。
誰に対しても、負ける気なんてない。
それが、自分の生まれた意義であり、根拠なのだ。
負けは、認められない。
負けることは即ち、自分を否定することだ。
そんな苦い感覚、もう御免だ。
銃弾を装填して、的に一発。
「…外さねぇぞ」
自分という生き方は、間違っていない。
戦争とはそういうものだ。
戦場ですぐに奴を見つけた。
いや、そもそも向こうは隠れる気など無い。
一昔前の、―――そう、それこそ大将が一番前に出るような戦い方しか、アレは知らないのだ。
「ダセェな、坊ちゃん」
けど、これは好都合だ。
早期に蹴りをつけるなら、一騎打ちが一番早い。
「さぁ、時の流れというものを教えてやるか」
ドイツを纏めるために、必要なことならば何でもしよう。
それが、何を犠牲にしようとも。
「折角だ、俺が相手してやる」
名乗る必要は無い。
銃を向け、声を掛けるだけで良い。
奴は溜息を吐き、
「…ええ、良いでしょう」
と何とも上からな返事を寄越した。
…これも、今日で終わりだ。
そう思うとどことなく愛しい気さえしてくるから面白いものだ。
「息の根、止めてやる」
―――その時の奴の表情の意味を後々嫌というほど思い知らされるとは。
数分もせずに、差が開いた。
呼吸も辛そうにする相手を、半ばいたぶる様にあしらう。
勝てるのは、分かっている。
だから、精々振り回してやっているのだ。
「脇ががら空きだぞ」
まぁ、そろそろ飽きてきたし、この辺で打ち止めにしておこうか。
振るわれた刃を見切って避ける。
太刀筋が、甘い。
銃身で殴りつけ、地面に組み敷いた。
体勢は明らかに、こちらが優位。
こいつの剣術の腕が大した事ないのも、承知の上だ。
「貰った!」
金属音が響く。
「ほら見ろ、坊ちゃん。これが、時代の差って奴だ」
だが。
思った以上に薄い反応で、奴はこちらを眺めていた。
もう少し、悔しげな顔の一つでもしてくれるかと思っていた。
命乞いでも何でも、するだろうと思っていたのに、
「そうでしょうね」
とあっさり一言だけ口にして、瞼を下ろした。
「え…?」
肩透かしを食らったような…最早驚く以外に対応できない。
「殺すなら、さっさと殺しなさい」
ぐらぐらと、何かが煮えくり返ってくる。
だが、決定打は無い。
「この期に及んで、命令かよ」
どうしよう。
どうすればいいんだ。
この得体の知れない恐怖を、動揺を、どうすれば振るい落とせるのか、分からない。
考えることを投げ出して、この場から消えてしまいたい。
どうしてかって?
―――そんなこと俺が知るかよ
「…お馬鹿さん」
表情を変えることもなく、唇が動いた。
ああ、神様。
どうすれば俺は救われるのでしょうか。
「…俺は、負けられねぇんだ」
呪文のように、口から零れる。
「ええ、そうでしょうね」
銃口を首に宛がわれたまま、それでも奴は冷静だった。
寧ろ、何もかも幻なのではないかという位、平然としている。
俺が。
俺だけが、何かの幻影を見ているのか。
「だから、俺の、勝ちだ」
それがどうした、とでも言いたげに奴は眉根を寄せた。
「ええ、だから、早く止めを刺せばいいじゃないですか」
冷たい声に頭が痛くなった。
違うだろう、何でお前がそんな風に落ち着いてるんだよ。
死ぬんだよ、お前は。
今から、死ぬんだ。
「…死にたいのか、お前」
今更気づいたのか、という呆れにも取れる微笑を浮かべ、
「時代、でしょうからね」
等と言う。
「っ…お前…」
言わなくては。
何か言わなくてはいけない。
ただ、自分の語彙の中から言うべき言葉を見つけられない。
「あなたもそう仰ったじゃないですか。時代は、変わったんです」
淡々とした口調に、逆に備わった本質が浮き彫りになる。
崩れ気味に広がる髪の毛が、嫌に官能的だ。
引き金に掛けた指が攣る。
「それは…そう、だ」
でも、違う。
何か、違うんだ。
言いたかったことと、向こうから放たれる言葉の差異に歯軋りしたくなった。
「だから、私が生きているべき…生きていても良い時代は、終わったんですよ」
一大帝国を作り上げても、その座からいつか降りるべき時が来る。
今が、潮時でしょうね。
そう言って、嫣然と微笑んだ。
「…冗談じゃねぇよ」
我が身の下で完全に死んだ気で居る男に、激しい怒りが湧き上がる。
正確には、怒りではないかもしれない。
ただ、この激情を表す言葉を他に知らない。
「何勝手に死のうとしてやがるんだよ!」
すると、漸くこちらの言ったことに驚いたらしい。
目を丸くして見上げてきた。
「プロイセン、あなた何を言い出すかと思えば…」
「俺様がお前の望みをそう簡単に叶えてやると思ったか」
奴に言葉を最後まで言わせずに、押し切る。
「お馬鹿さん、あなたの勝ちだって認めてあげたんですからそのぐらいしてくれたっていいでしょう」
相手の意図が分かれば、こちらの出方だって決められる。
そんな風にねだるような口調にしたところで俺が折れると思うなよ。
「だったら尚更嫌だぜ。…お前は、生きてドイツの傍に居なきゃ駄目だ」
「な…何を言い出すかと思えば」
急に先の話をされて、混乱しているのが丸分かりだ。
「それが、俺の返事だ」
銃口を外し、代わりに唇の上に指を置いた。
「異論は認めないぜ」
くるくると表情を変えていたものの、最終的に呆れ顔で落ち着いたらしい。
「………この…お馬鹿」
…あれ。
待てよ…何だ、今の。
不可解な感想が一瞬脳裏に浮かんで、消えた。
「あなたになら…殺されても良かったのに」
ぼそりと呟く声の、意味を取ることなど出来なかった。
過去作品を発掘。普墺。
微妙に加筆訂正。
2010/08/20