無敵の盾などどこにもない
aegis
「お前がここに居たくないだろう事は容易に想像が付く。正直、さっさと家に帰してやりたいところだがそう言う訳にもいかなくてな」
珈琲カップの液面が揺れる。
「別に、構わないんですよ」
確かに雑用も多ければ、扱いも悪い。
食事もまぁ食べられる、といった状態で、決して美味しいとは言い難い。
しかし、ここでの生活が気に入らないか、と言われれば決してそんなことは無かった。
ピアノがあれば、別に大して問題は無い。
それに、意外と暇な時間が多いのだ。
「いや、でも何というか…。すまんな」
眉間に深く皺を刻んで、彼は言った。
自分より悠に若いのに、苦労が染みついてしまっている。
あんなに幼い頃から知っているのに、私は無力だ。
「そう簡単に謝る物ではありませんよ、ドイツ」
いや、抑も彼は私とは別な存在なのだ。
しっかりしない保護者は一体どこをほっつき歩いているのやら。
「しかし」
「それ以上言ったら、今日はクーヘン抜きにしますからね」
ややきつめに言うと、やっと大人しくなった。
全く、なんて頑固なんだろう。
―――人のことは、言えないのだけれど。
「はっはっは、ヴェスト、そんなにクーヘンが大事か」
茶化すように入ってきた男を軽く睨み付けた。
「…なんだよ坊ちゃん。文句あんのかよ…」
放っておいたら何を言うか解らない『元保護者』を迅速に部屋から連れ出した。
扉を閉める直前に見た彼は、やはり床の一点に視線を落としたままだった。
「プロイセン…あなた」
「だからぁ、落ち込んでるから元気づけてやろうとおもってんだろうが」
いつもの如く据わった目が主張する。
しかし、この男の扱いは熟知している。
もう嫌と言う程関わってきたのだ。
いい加減、分かる。
「あなたのやり方は過剰なんですよ。加減を知って下さい」
溜息混じりに言うと、
「お前はあいつの母親かよ」
とむすっとして返してきた。
「どこぞの保護者殿がしっかりなさらないので、つい」
襟元を掴まれた。
「しっかりやってんだろ。あいつを守る為に出来ることなら何だってやってる」
相変わらず、気迫だけはしっかりしているようだ。
「プロイセン」
それもまぁ、お互い様かも知れないが。
「でもなぁ、これ以上もう出来る事なんて何も無いって事ぐらい、お前も分かってるだろ」
心底悔しそうに言う。
そうだ。
戦好きのこの男を以てしてもどうしようもない事なんていくらでもあった。
どうして、そんな簡単なことを忘れていたのだろう。
「そうですね。私もこのところ鎮魂歌ばかり弾くようになってしまいました」
紅い眼が、こちらを射貫く。
「行軍曲は性に合わないんです。あなたも御存知でしょう?」
意図は、伝わったはずだ。
男は静かに襟を掴んでいた手を緩めた。
「誰も、守ってやれないってのか?」
自嘲気味に呟く。
眩しい銀糸がさらりと落ちた。
「自分すら守れない者には、荷が重いでしょうね」
久しく触れたことの無かった頬に手を伸ばす。
何年ぶり―――いや、何十年ぶりかもしれない。
「失礼な奴だな」
苦い笑いを浮かべる。
重なってきた指先は、思いの外荒れていた。
「まぁ、自戒も込めて、ですよ」
無敵の盾は、存在しないからこそ、無敵―――
ドイツとプロイセンとオーストリアさんの微妙な距離感が好き。
この子達ほんとなぁ…歴史が最大手過ぎて…うっ…
2010/06/17