いい加減年寄りをからかうのは止めて下さい。
と、何十年言い続けてきたのでしょうかね。
いや、若しかするともう百年近く経ってしまっているのでは。
あれ、千年…ではありませんね、百年強ですか。
いやはや、歳を取るといけませんね。
なんだか年月が早く過ぎる気がしまして。
ええ、で、何の話でしたっけ?
ああ、そう言えばそうでしたね。
最近物忘れが激しくて。
はい?
それなら空けてありますよ。
あなたがそう仰ったんじゃないですか。
はいはい。
ではまた明日。
祝って下さい
最近、妙に心労ばかり溜まる。
隠居の身だから、殊更に何か疲れるようなことはないはずだ。
だが、どうにも最近の不景気だとか諸々の事が肩の荷になっている。
…殊更に、「彼」とぎくしゃくしているのが辛い。
正確には、私がぎくしゃくしているのではなくて、上司がぎくしゃくしている。
上司がぎくしゃくすると、何となく彼が冷たく当たるのである。
或いは、急に駄々っ子の様になったりする。
要は、不安定になるのである。
だから、なるべくなら上司には、彼を刺激しないで欲しい。
穏当に、平穏に、老後を送りたいだけなのだ。
「私も丸くなった物ですねぇ…」
そう言いながら緑茶を啜る。
これだけ飲み終えたら家を出る支度をしなければ。
今日は恐らく外套も少し薄めで良いだろう。
日差しが心地よかった。
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会談には出席しなくても良いが、記念式典ぐらいには顔を出せ、と上司に釘を刺されている。
…言いたい事は山ほど有ったが、そこは日本人らしく承諾しておいた。
まぁ式典の性質上「国賓」であるところの「彼」を精一杯歓待せねばならないとかそういった仕事だろう。
常々、歓待してはいるのだが。
「やー日本。待ってたんだぞ!」
大股で歩み寄ってくる。
相変わらずコンパスが違う。
欧米人、恐るべし…
「これはこれは。お待たせして申し訳ございません」
軽く頭を下げる。
ちらっと辺りを窺うと、高官レヴェルばかりのようだ。
「いや、良いさ。それより日本、今すぐここを抜けられるかい?」
突拍子もない。
「…今すぐ、ですか?」
着いて早々は流石に無いだろう、とは思ったのだが
「駄目かい?」
と子供のように濁りのない目で見つめられて
「いえ、構いません」
つい即答してしまった。
/
「ずーっと前から予約してたんだぞ!」
そう言って案内されたのはホテルの高層階のレストランである。
「ありがとうございます」
ずっと前、という言葉に少し引っかかりを覚えながら席に着く。
「…反応が薄すぎやしないかい?」
むくれたように言う。
が、気分を害するようなへまはまだしていないはずなのだが…。
「いえ、十分感謝していますが顔に出ないだけで…」
「そうじゃなくて、君。まさか忘れてたりしないよね…?」
今度は怖々と確認するように。
おかしい。
何か私は勘違いしているのだろうか。
或いは何か重大な約束を忘れているのだろうか。
「忘れる?…はて…何のことでしょうか」
まぁ会話していく内に思い出せるかも知れない。
兎に角今はヒントを出して貰うしか無いだろう。
「やっぱり忘れてるだろ!酷いんだぞ、全くもう」
ぶつぶつと文句を言いながらボーイにワインを頼んでいる。
目の前の男の顔をまじまじと見てみたが、やはりそれらしいあては無い。
大分物忘れが激しくなったとは言え、大事なことなら覚えていると思うのだが…。
「…そんな顔したって、教えないんだぞ」
少しばかり顔を赤らめて言う。
こんな時ばかり妙に初々しい彼が愛おしい。
「いえ、忘れているとかではなくて、ただそのなんと言いますか、はっきりとは明言できないと言いますか」
「それを忘れてるって言うんだよ」
全く、お爺ちゃんなんだから。
そう言ってこちらの額を軽く指で弾いた。
「…済みません」
「良いよ。ほら、ヒントが来た」
そう言って指した先には先程のボーイ。
「赤ワインをお持ちいたしました」
そう言って差し出されたワインボトルの年号には、どうも見覚えがあった。
「あ、そうか」
私としたことが。
何の為に彼がはるばるやってきたか、すっかり失念していた。
「やっと思い出してくれたかい?」
困ったように笑う彼が、急に大人びて見えた。
「…あ、」
グラスに注がれたワインは、甘く芳醇な香りがした。
何となく雰囲気でお読み下さい。笑