懐古主義

人を殺した後は、どうにもやりきれない気持ちになる。 いつも加減が出来るわけではない。 全力で掛かってくる相手に手加減出来る程強くもなかった。 それなのに、この手で命を絶つ感覚はいつまで経っても慣れない。 「忠勝…お前は強いな」 鈍く輝く鉄の鎧を見上げる。 ぎらりと光った目は、何を言ってくれたのだろうか。 不甲斐ない主に対して、叱咤してくれたのだろうか。 指を閉じて、開く。 鈍い感覚が―――人の骨を折り、肉を絶つ感触が、抜けない。 溜息を吐きそうになって、周りに人が居る事を思い出した。 吸った息の行き場を見つけられず困った挙げ句、深呼吸でもしていたかのように吐き出して見せた。 暗い顔をするのは一人の時だけにしなくては。 自分を慕ってくれる家臣に心配を掛けるのは良くないことだ。 「やれ三成、今日は一段と酷い有様よの」 刑部の声が聞こえた。 「大したことはない。少しばかり多く斬っただけだ」 声のした方にのろのろと視線を動かすと、鮮やかな紅に染まった三成が目に入った。 白い陣羽織に幾筋もの血飛沫。 太刀筋が読める程度に、はっきりと。 ああ、なんて眩しい。 「せめて顔に付いた返り血ぐらい拭えば良かろう」 愉快そうに刑部は言う。 「そんな間があるなら少しでも早く攻略するのが当然だろう。刑部、戯れ言は良い。懐紙は無いか」 当然、という言葉はとても不安定だ。 本人にとって揺るぎなく当たり前で、極めて自然な事であったとしても、それが万人の思うところと一致している保証はない。 だというのに、あんなにも真っ直ぐすぎる瞳。 迷ってばかりの己には、とても真似の出来ない生き方だった。 「今出す所よ。全く、ぬしは幼い頃とまるで変わっておらんな」 兄のような、親のような調子。 あの男がそこまで親しく接するのは珍しい。 「親しげ」と「親しい」に大きく乖離があるのが大谷吉継という人間だ。 それを何となく感じ取るまでにさして時間は掛からなかった。 自分が切り取る視界に、いつもごく自然にあの男も入り込んでいたからだ。 標的を―――石田三成という人間を目で追うと、九分九厘、刑部卿の事も追うことになる。 切っても切れぬ何かが見える気がして、それがとても面白くなかった。 面白くない、なんて、そんな風にぼやかした言い方をするのは良くないかも知れない。 もっとはっきり言うと、嫉妬心だろう。 ああはなれない、ああなりたいわけではない、そう思っているのに、苛立たしい。 ―――誰にも言えた話では無いが。 「そんなことが有るか」 しかしその言葉の通り、童が親にそうされるように、頬を懐紙で拭われている。 とても、百人を越える人間を斬ってきた帰りだとは思えぬ微笑ましさだ。 血腥い光景を、とてもそうとは見せないあの男が恐ろしかった。 「そんなに見つめていたら、穴が開いてしまうよ」 唐突に背後からした声にぎくりとした。 声の主は分かる。 竹中殿だ。 「あははは、こうもあっさり背後を取られるとは、不覚でした」 振り向こうとすると、肩に手を置いて制止された。 「あの子は確かに人の目を惹くね。良かれ悪しかれ」 何故か、背中に刀を宛がわれているような心持ちがした。 「三成ですか? まぁ涼しい顔だとは思いますが…」 言い終わらぬうちに、くすくすと何かしら含みのある調子で笑われる。 正直ぞっとした。 この人の笑い程、人の肝を冷えさせる物は無いのではないかと最近特に思うのだ。 「君も正直だねぇ…。まぁ悪いことではないけれど、あの子の保護者代わりとしては複雑な心境だね」 きっといつもの人好きのする、しかしどこか醒めた微笑を浮かべているのだろう。 見なくとも何となく分かった。 「…正直過ぎましたか?」 戯けて返してみたが、彼はくすりとも笑わず、 「君がいつあの子を取って喰ってしまうかと気が気じゃないよ」 と当然のような調子で突き返した。 怒っているのではない。 ただ、冷静に、自然に、ありのままの事を剔りだしただけなのだ。 「…ご冗談を」 絞り出すような声しか出なかった。 「紀之介君は…ああ失礼、吉継君はそう言う意味では今はもう心配していないんだけどね」 彼はそういう意味ではとても無欲になったから。 意味あり気どころか、含みしかない言葉を残して彼は歩き去った。 その背に投げかける言葉を己は持たず、又何を言ったところで無意味だと言うこともよく分かった。 視線の先には、機嫌良さそうに三成に話しかける竹中殿と、親を見つけた子供のように目を輝かせているであろう三成。 自分には決して見せることのない笑顔を精一杯作って、与えられる言葉の一つ一つを幸せそうに噛み締めているのだ。 『そんなに見つめていたら、穴が開いてしまうよ』 さっきの言葉を反芻して、思わず俯いた。 ―――そんなに物欲しそうに見ていたのだろうか。 寒気がした。 目が合わないのではない。 「合わせられない」のだ。 自らに疚しいところがあるから、見透かされるのが怖くてあの目を見ることが出来ない。 ふと顔を上げると、丁度こちらを眺めていたらしい刑部と視線が合った。 『ぬしにだけは渡さぬ』 届くはずのない言葉が聞こえた気がした。 それが、自分の頭蓋の内側で勝手に組み上げられた言葉であったとしても。 『あれを喰い散らかすことしか出来ぬ、ぬしにだけは、な』 これも全て、 懐かしむには少しばかり痛ましい、過去の残像だ。
権現がもうなんかこんなイメージで固まってきてしまっているのが恐ろしい。 光属性とは言いますが、彼相当病んでる。間違いない。 同僚時代を妄想しては、どこか痛む話ばかり書き出してしまう。 困った癖です。 2010/10/11